多田計之「自分史」から

昭和20年3月15日、十か月の甲府勤務も終わり、異動命令で桶川飛行隊となった。永田家、中山家にお別れの挨拶に行ってお礼を申し述べた。桶川では中村郵便局長の家に下宿が決まった。師団より「来年の進攻で本土決戦を覚悟せよ。今、日本を守るためには、特別攻撃隊を募るので志願する者は申し出よ」との通知が来たと伝達あり。

教育隊将校室に一期生が全員集合し、志願することを決定した。早速、和紙に部隊名、官位を書いて署名し、親指に小刀で切りつけ血判を押した。この特攻隊は振武特別攻撃隊と名称が付けられた。私は、髪を切り束ねて紙に巻き、遺書を認めて母に送った。秘かに、追伸として、今までの日記帳を焼却して欲しいと書いた。辞世の句は、「海行かば 明日無き命 山桜」で、色紙に書き留めておいた。

3月末、東京大空襲で天をも焦がす火災に国の終わりを感じた。一億総決戦も避けられないと思わない者はなく、人々は配給制の衣食で最低の日常生活を送っていた。精神だけでは戦いに勝てない。4月1日、本部より特別攻撃命令が届く。山田少尉を隊長に、郷田、清水、西村を含め12名の編成であった。4月5日、飛行場で出陣式が行われた。前夜は将校食堂でお別れの小宴があった。一同、水盃で式を終わり、旧式の単発機に搭乗し、部隊長以下、兵士事務職員全員が帽子と手を振って別れを惜しんだ。以後50年間、春の花を見はせず、この日写した写真を眺めて当時を偲び僚友の冥福を祈っている。後から行くからと約束したことも果たせずに申し訳ないという思いである。

今にして思えば、命令とはいえ、尽忠とは、報告とはなんであったのかと考える。純真な青年の心情は、社会生活を体験した今では理解できるものではない。

昭和20年5月19日、米軍の空襲は関東地方に及び、訓練が困難となってきて札幌への移動が決まった。6機編隊を組んで出発、八戸基地で給油し離陸、下北半島に沿って太平洋上を北上して津軽海峡に入るころ、急にエンジン不調の事態となった。高度は千五百米であったが、速度が落ち、両側の戦友が接近してきて、どうしたのかと聞く。手を振って先に行けと指示を出し、雲下に降り四百米で漁船を探した。室蘭東方に漁船を発見して降下した。百五十米ぐらいまで来ると急に回転数が戻り、レバーを一杯引いて操縦かんを引いた。僚機も同時に上昇を始めた。空気密度の関係だったのであろうか。手を振って喜びを分かち合い、苫小牧の西方、白老町より支笏湖の右側をすれすれに飛び抜けることができた。航空服の中のお守りに手を合わせ、神仏の加護に感謝したものである。
 
石狩平野に出る広大な平野は、内地では見られぬ大陸の光景で、驚嘆したものでアある。僚友と頭を傾けて眺めた。また、眼下に現れた碁盤の目のような美しい札幌の町に再び感激したのであった。北大の北側にある丘珠飛行場に全機到着し、僚友にありがとうといった。

宿直舎は幌北小学校の教堂で、3、4年生が使っていたところだった。児童が登校をするまでに寝具を片付け部隊へ。夕方5時半ごろ、夕食後、教室に帰って休み、就寝する日課であった。担任は雅(?)賀先生で、昭和43年1月12日、研修で広島に来られ、22年ぶりに再会、希望で尾道市を案内し、昔の思い出を語り合い、夕方、東京へ出発される先生たちを見送った。
部隊の南側にポプラ並木と北大の時計台が見え、休み時間に市川少尉が尺八を演奏していた。日曜日には石狩平野へすずらん狩りに行った。見渡す限りの平野一面に咲いた白い花は可憐で美しい少女の姿であった。夕食、隊長から「今日も行くか」と言われて、「ハイ」と答えて、中村一等兵に運転させて、札幌駅に向かう。5時半鉄道管理局より退社する日本人とアイヌ人のハーフの娘を眺めている日課であった。それは雪の様に白い肌髪と、眉毛は真っ黒で、目は青色の絵に書いたような美しさで有名であった。

郊外のサッポロビール工場も、時々所用で訪れていたが、エキゾチックな風景でヨーロッパの町にいる気分であった。また、大通りの拓殖銀行にも隊の金の出し入れで時々訪れたが、受付の溝口さんが定山渓温泉のホテルの娘さんで、2、3度泊まりに行ったことがある。広島の湯東温泉を連想させる山の中の静寂な温泉郷であり、苗穂駅より軽便鉄道で行く札幌の奥座敷になっているようだった。

6月末、日本海にソ連軍の潜水艦発見の通知があり、捜索のため飛び立って石狩湾を上空より偵察したが発見できなかった。
この頃より、飛行訓練も特攻を兼ね、艦舶攻撃に代わった。毎日、午前午後、生徒を乗せて籖(?)箱海岸を海面すれすれ(軍艦のレーダー死角)に飛び、小樽の東側の山を越えて急降下し、商船を標的に攻撃をかけて帰る教育であった。

19.7.18

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